初めてのコンビニと、ポントゥのこと

投稿者 | 2013-10-07 0:28 | No comments | 読む

大学2年の夏、初めてそのコンビニに入った。

初めての語学研修、初めての韓国、そもそも初めての海外だった。学校の授業以外で母語ではない言語を話すこと、それもその言語で「暮らす」ことに、おっかなびっくりだった。いまから思えばたった2週間の短い滞在だったのだけれど。

2週間の間、そのコンビニに通った。研修先の大学の寄宿舎の、1号館の1階に、そのコンビニはあった。

寄宿舎の中庭でコンビニの看板を見た瞬間、なんだか拍子抜けしたのを覚えている。それは日本でも見慣れた「Family Mart」の看板だったからだ。なあんだ、ファミマがあるんだ。楽でいいや。でもちょっと物足りないなあ。日本にいるのとあんまり変わらない。

そう思いながらドアを開けて中に入った瞬間のことを忘れない。

入ってすぐの新製品の棚、パン、ラーメン、乳製品、お菓子、店内のキャンペーン広告、雑貨、すべてに書かれているのがハングルで、漢字もほとんどない、そんな当然すぎるほど当然のことに、ばかみたいに打ちのめされた。夢中で、手当たり次第にハングルを読み始めた。パッケージを手に取り、中身を把握するだけでも、とても消耗した。

カップ麺の棚に、新大久保で馴染みの辛ラーメン。目玉商品の位置に置いてある上に、例の真赤なパッケージですごく目立つ。しかもどっさり仕入れてある。と、見ている間にも若いお兄さんがわしっと掴んで買っていく。

ああ、おにぎりの棚だ。おにぎり……じゃなくて、「三角のり巻き(삼각김밥)」! そうか、韓国ではおにぎりより、のり巻き(김밥)のほうが一般的なのだった。よく見たら横にのり巻きがちゃんとある。でも全部、日本で言う太巻き。卵とかきゅうりとか、たくあんとか、ぎっしり入ってる。そして何より、メインの具がプルコギ。さすがだ。

見たところ、これはたぶん牛乳。でもなんでこんなにいっぱいあるんだ? いちご味、バナナ味は絵がついているからわかる。青いのは、多分プレーンだろう。後は何だろう。濃い茶色と並んだ、薄茶色のひとつを手に取った。いちばん名前が長くて、じっくり見ないと読めなかったからだ。카…カ、라…ラ、멜…メル、마…マ、끼…キ、아…ア、또…ト。カラメルマキアト。――キャラメルマキアートか! それはキャラメルマキアート味の牛乳だった。

字を読むだけで精一杯で、考えるのに疲れて、いちばん間違いが少ないだろう、どう見てもミネラルウォーターのペットボトルと、ビスケットの絵がついた箱をレジに持っていく。お金、渡せば、買えるよね。金額聞き取れなくても、レジの機械見れば、数字が出るし。そう油断した途端、レジの店員さんが、金額以外の何かを言った。

えっ、何。聞き取れない。

後半は、필요해요? (要りますか?) だ。でも、その前の単語がやっぱりわからない。

ポントゥ、って、聞こえる。

 

思いつく限りのスペルを電子辞書に打ち込むけれど、なかなかそれらしい単語は出てこない。日本語の耳で「ポントゥ」と聞こえたからって、韓国語での綴りは何通りもあり得るから、なかなかうまく探せない。

研修も終盤に差し掛かったある日、韓国語の先生に聞いてみた。

あのう、ポントゥって、なんでしょう。

ポントゥ? ポントゥねえ。スペルは?

それがわからないんです。

どこかで見たの?

コンビニで、店員さんに言われるんです。お金を払う時に。

コンビニで? ――ああ! それ、봉투じゃない?

そして先生はポントゥの正体を教えてくれた。

 

その日の帰り、店員さんに、

ポントゥ、괜찮아요. (要りません。) と言ってみた。

店員さんは一瞬わたしの顔を見た。そして黙ったまま、袋に入れずに、商品をくれた。

 

韓国のコンビニでは、会計のとき原則としてレジ袋はついてこない。レジ袋がほしい場合は、20ウォンで購入することになる。環境政策の一環として、2008年に導入された制度だ。買ったものがそんなに多くない時は手に持って帰ることが多いし、お店の中にテーブルと椅子があって、買ったものをそのまま食べることもできる。日本ではドラマや漫画などでも、登場人物がレジ袋を下げて歩く姿で「コンビニ帰り」を表現したりする。レジ袋は当然ついてくるものだという「日本での常識」がそこにはある。韓国では、違う。

봉투 필요해요? (袋いりますか?)がわからなかった外国人のわたしの飲み物を、伏し目の店員さんは毎日袋に入れて渡してくれた。それまでのレシートを見たら、レジ袋代20ウォンは一度も加算されていなかった。

 

2年後、大学4年になったわたしは、当時の研修先の大学に、長期留学生として再び訪れた。今度は1年間の滞在。同じ寄宿舎の同じ棟に部屋をもらい、あのコンビニに通った。

伏し目の店員さんには一度も会わなかった。

背の高い学生バイトの店員さんに明るく(そして機械的に)接客されながら、わたしも機械的に商品を受け取って店を出る。袋はもらわない。

住み始めて2ヶ月くらい過ぎたあたりから、会話にも慣れ、相手の言葉を聞き返すことも少なくなっていった。たくさんの牛乳の中から好きな味を選ぶことも日常になった。韓国のファミリーマートは「CU」という新しい名前に変わった。そして1年が過ぎ、日本に帰国したわたしは、日本のファミリーマートでレジ袋を受け取っている。

あの伏し目の店員さんはどうしているだろうと、ふと思い出す。k-logo-g-h50

 

k-logo-p-h50板垣志穂

早稲田大学文化構想学部在学中。2012年に1年間韓国に留学。将来、哲学の立場から日韓の歴史について研究することを目指している。

 


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