
韓国の作家の小説には、アメリカや欧米へ養子にだされた主人公が多く登場する。キム・ヨンスの『波が海の業ならば』も20代の韓国系アメリカ人「カミラ」が全体の物語を引いていく。赤ん坊の時、米国の白人家庭に養子縁組されたカミラは、母親アンが死んだあと一人暮らしをしている。ある日、父エリックが再婚するため家を売りに出すことで、カミラへ六箱分量の荷物を送ってくれる。 その荷物の中にはカミラの全てのものが入っていた。 カミラはそこから養子縁組書類とともに小さな躯で赤ん坊を抱いている東洋女性の写真をみつける。 物語はこの一枚の写真からはじまる。
ほかの作家の最近の作品、例えばイ・ミョンヘンの『追憶の中へ』、チェ・ユンの『オルメンスティ』、ソン・ホンギュの『イスラムの精肉店』などでも養子にだされた子供たちが成人になっている。小説だけではない。日本でも大変人気のあった韓国ドラマ『ごめん、愛してる』の主人公ソ・ジソプも養子にだされた韓国系オーストリア人だった。
韓国では朝鮮戦争後からいままで海外へ送り出した養子が20万人にも及ぶ。皮肉な表現で「子供輸出世界一位」(これは累計)という慣用句があるぐらい。養子の多くはアメリカへ渡る。「養子大国」アメリカへは中国、ロシア、グアテマラ出身に続いて韓国の出身の子供たちが年間10万人ほどアメリカ人親に出会う。日本からの子供も年間30人~40人が養子に出される。(日本は国際養子縁組のルールを定めたハーグ条約を批准しておらず、政府は海外に出る養子の数を把握していない。米国務省によると年間30~40人が米国に孤児や養子として入国している。-朝日新聞globe 2013.1.19)
韓国出身や日本出身の養子はその90%が非婚母からの子供である。ほかの国もおそらくそうであろう。今回の小説の主人公「カミラ」の母も非婚母だった。経済力の無さももちろん周りの厳しい目が自分の子を自分で育つことをできなくする。
「生母」、「血より濃いものはない」、「アイデンティティで苦しむ」、「自殺未遂」、そして「希望」でこの小説は終わる。読み終わったけれどまだ終わった感じがしない作品である。何もない野原に風の音がブインブインと泣いているような淋しい読後感がのこる。