誤問誤答――ジャン・ウンジンに聞く

投稿者 | 2013-11-23 20:41 | No comments | インタビュー

Q1。『誰も手紙しない』を初めて読んだとき、涙が止まらなくて、後半ではもうティッシュ箱を抱えたまま読みました。思えば、当時私は、初めて独立というものを経験し、ひとり暮らしも3年目に入って、そろそろ一人で夕飯を食べることに寂しさを感じ始めつつも、変に自らを孤立させていたように思います。そのせいで、この作品は私の心に余計に大きく響いたのだと思いますが、おそらくジャンさんもこの作品を書きながら、あるいは幼いころからずっと、「孤立した生」についてたくさん悩んできたのではないかと想像しました。前作の『エリスの生活方式』を読んで、より一層そんな風に思いましたが、その解説に「ジャン・ウンジンが深く研究しているのは「孤立」という言葉だ」(文学評論家 ガン・ユジョン)と書いてあるのを読んで、なるほどと思いました。ジャンさんは、意識的に人間の「孤立」に重きをおいて小説を書いていらっしゃるのでしょうか、そうだとしたらなぜなのか、聞かせてください。

最初から意識的に「孤立」というテーマにこだわっていたわけではないと思います。ただ、こういう話を書いたら面白いのではないかと、限られた空間で起きる事件から来る緊張感といったものに魅力を感じて、最初はそうやって自然に書いていたんです。でも、ちょっと距離をおいて作品を振り返ってみたら、孤立に関する話がたくさん出てきていることに気づいて、少し驚きました。私は「孤立」というテーマは、もしかすると私の無意識に傷や痛みといった形で隠れていたものが、私も気付かないうちに物語を通して現れ出たものではないかと考えます。思えば、子供のころはそれほど社交的でない性格のせいで友達があまりなく、孤立感、あるいは孤独感を常に感じていましたし、小説を書くようになってからはもっと孤立した生活をするしかなかったんです。何かを作りだすためには誰でも孤立せざるを得ません。孤立こそが創作ですからね。なので、「孤立」は、私にとっても他の人にとってもそれほど特別なテーマではないと思います。人間は物理的であれ、精神的であれ、孤立した状態で生きている時間が必ずあるし、たくさんの人の中に混じっていても、その時、その時、孤立を感じることもありますからね。寂しさとは、孤立の別の呼び名ですし、人間の本質もそこにあると思います。なので、私はただその本質について書いていると考えています。

 

Q2。ジャンさんの作品には、手紙、メモなど他の人に何かを伝えるための道具がよく登場します。『誰も手紙しない』の中で主人公は、旅先で出会った見知らぬ人に妙な内容の手紙を書いていますし、『空き部屋をノックする理由』では、ハイヒールを履いた女が片思い中の男の家の玄関に鏡文字で書いたメモを貼る。また「ページたち」では、ふてぶてしくも書店や図書館の本のページを破いては、このページをお探しでしたら連絡くださいという内容のポスト・イットを貼っていますね(実は、私は「ページたち」に出てくるへんてこな人たちと友達になれそうな気がします。本屋さんや図書館の司書さんが見たら怒るでしょうけど、笑)。実際に、ジャンさんがこのような手紙やメモを好きになったきっかけがあるのではないかと思います。もしくは、こういう手紙やメモをもらってみたいというのがありましたら教えてください。

手紙やメモはコミュニケーションのきっかけとなる媒介物ですよね。そのきっかけを通じて人と人がつながり、事件が起こったり解決したり、または全然違う方向に流されて行ったり、さまざまな想像や好奇心をを呼び起こす端緒となるものなので、よく小説に使っています。小説を書く人は普通、自分が好きな素材、それでいつかは必ず扱ってみたい素材というのが大概あるんですが、私には手紙や日記がそれでした。ですが、私自身は日記や手紙をまじめに書くタイプではありません。文章で自分の気持ちを残したり、誰かに伝えることがとても苦手だったんです。文章を書くことは難しいことだと、勝手にそう思って、意図的に遠ざけてきたんですね。今でも小説のような虚構の話ならそれなりに書けますけど、私の本心を伝えなければいけない文章を書くときは、ちょっと苦労しますね。なんだか頭が複雑になっちゃって……。もらってみたい手紙は、自分が片思いしていると思っていた人から、ある日突然送られてくる告白の手紙……。

 

Q3。このような手紙やメモは、孤立した私を誰かとつなげて、共感を引き出すものですが、最近はツイッターやフェイスブックなど、それこそ手軽に文章を書き、共感できるツールがありますよね。先日書いた『誰も手紙しない』の書評で私は、「ツイッターやフェイスブックなど最も簡単な「人との繋がり旅」に物足りなさを感じている人なら、『誰も手紙しない』の最もおかしい「手紙旅行」からそれぞれの響きを感じて新しい人生実験を始めていくだろう」と書きましたが、実は私も簡単で便利なツイッターやフェイスブックを楽しんでいる一方で、これらが本当に私に感動を与えているのかについては懐疑的になったりもします。「誰かが私のことを考え、気にしているというのはどれほど魅力的なことだろうか」(『ページたち』p.179)という言葉を借りるなら、スマートフォンは想像を超える多くの人と人、孤立した自我と自我を結び付けてくれるだけに、とても「魅力的な媒体」になるのでしょうか。これらによって私たちは救われるのでしょうか。その前に、ジャンさんはツイッターやフェイスブックなどをなさっていますか。なさっていないならその理由はなぜですか。

ツイッターをしたことはあります。一週間ほど。私も現代文明にある程度は歩幅を合わせて生きているんだということを感じたくて、また見ず知らずの人たちと短いスパンで意見を交換し、コミュニケーションするというのはどんな感じなのか知りたくて始めました。でも、あれって、厄介な点もあるんです。私が書いたものに他の人がどう反応しているのか、リツイートは何回されたか、私のフォロワーは何人いるのか、私をフォローをしていた人がやめたのはなぜなのか、毎日意味のあるものを書かなければいけないという強迫観念、中毒症状など。面白半分でやればいいのに、気にし過ぎている自分が少し情けなかったです。ツイッターが人を小心でずる賢くするような気もしました。意外とストレスになるし、時間を無駄使いしてしまうこともありました。小説を書くべき時間にツイッターばかり見ていて、明らかに集中力が落ちているのを感じたので、一週間でアカウントを削除しました。今もそれでよかったと考えています。
ツイッターは、リアルタイムでたくさんの情報を手軽に交換できるという点で確かに魅力的ですが、そういう情報がフィルターなしにそのまま流れるというのは、人を疲れさせるようにも思います。時々、ミスにつながったりもしますしね。コミュニケーションに飢えている人には救いになるかもしれませんが、罠になることもあると思います。誤解のきっかけを提供したりもしますからね。速すぎるコミュニケーションは人をより不安にさせると思います。だんだん待てなくなって、少しでも返事が遅れると焦って行動するようになります。機械の歩幅に私たちが振り回されているのではないでしょうか。コミュニケーションというのは、速いのも大切ですけど、それより、遅くてもちゃんとできていることのほうが重要じゃないですか。機械の助けで他人とのコミュニケーションはうまくいくでしょうが、そのせいで、自分の内面と語り合う時間はなくなりつつあるのではないかとも思います。

 

Q4。今日の私たちは、社会の中で島のように孤立していくと同時に、恣意的にも自ら積極的な孤立を気取っているような気がします。そのくせ、絶えず何かとつながっていることを願っていますね。ジャンさんの作品の中には、その狭間で、新しい試みをしながら、何とかして人生の意味を見つけて行こうとする登場人物たちが描かれていますね。『エリスの生活方法』で10年以上アパートに引きこもっていたエリスが、結局は「一人になるということは寂しいというより怖いことだ」(p.240)ということに気付くシーンが出てきますが、この「孤立の逆説」が、これまでのジャンさんの作品に一貫して流れているように思います。これからもこの問題にこだわって作品を書いていかれるのでしょうか、嫌でなかったら教えてください。

これからも「寂しさ」という人間の宿命的な本質について書いていくつもりです。なので「内と外」についての話はこれからも当分続でしょうね。でも、私たちは常に「内」もしくは「外」の話をしてきたようにも思います。大事なのは、繰り返されるテーマをどうやって新しい素材と形式で描き出すかだと思います。情熱をもって書いていけば、いつか変化も訪れてくると思います。

 

Q5。個人的には、ジャンさんが特定の空間の特徴をとらえて、そこから話を導いていくスタンスがとても面白くて好きなんですが、実際にジャンさんが作品の構想を練り、文章を書く場所はどんな空間なのか知りたいです。(ちなみに、私はリュックにノートパソコンをいれて、毎日違うカフェを転々としながら仕事をしています。他人でいっぱいの空間を探して)

実質的に作業をするのは静かな部屋です。図書館やカフェのようにたくさんの人がいるところで作業をしたことは一度もありません。いつかは、うんざりするようないつもの部屋を出て、環境を変えてみたいとは思います。混み合ったカフェや図書館でも集中できるのか、部屋で書くものとは違う、どんな文章が書けるのか試してみたいです。構想を練るときは、私の行く所、それから考えがとどまった先は、どこでも私の机になりますね。小説について考えている時間が多い方ですが、洗濯をしている時でも、バスに乗っている時でも、電気を消して寝ようとしている時でも、何か思い浮かんだらすぐに起きてメモする習慣があります。また、身近にある物の形や、人の行動や表情を良く観察して、記憶しておこうと努力する方です。そういう小さな観察や努力が、結局は小説につながっていきますので。

 

(インタビュー チョン・スユン、翻訳 生田美保)


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