人は他人の苦しみを共有することが可能なのか――チョ・ヘジン『ロ・ギワンに出会った』

投稿者 | 2014-03-17 0:55 | No comments | 今月の一冊

ときにはテクストを読み終えても、その感想を的確な言葉で説明し難い時がある。テキストに書かれている活字の意味と、そこに表されているイメージの距離が遠いほど、そうである。しかし、今回紹介するチョ・ヘジンの『ロ・ギワンに出会った』(로기완을 만나다、チャンビ、2011年)は、描かれるイメージと、それを表すテクストとが距離をとっているにも関わらず、読み難い小説にはなっていない。『ロ・ギワンに出会った』は、これまで韓国の文学や映画が脱北者を描く際に類型化してきた、南北分断の悲劇や北朝鮮の人々の悲惨な生活像などを取り上げない。脱北者という言葉が連想させる普遍的イメージから距離を保ちながら、小説の語り手である「私」が、ある脱北青年の脱北以後の軌跡を追い掛ける過程を、淡々と記述している。そして、この作品の中で「ロ・ギワン」という名の脱北青年は、語り手の「私」とまたもう一人の登場人物「朴」と共に、物語を構成する一人に過ぎない。

そのためなのか、この小説を初読した時、私は幾分戸惑いを感じた。刺激に対する人の反応というものも、結局は同じ経験を重ねることで体得しうるものである。脱北者の話を扱った若い女性作家の作品を前にして、私はいつ感情的になってもいいように心の準備を整えていた。しかし、『ロ・ギワンに出会った』は、今まで私が接してきた脱北者を描いた作品群とは違ったレトリックを駆使していた。そこで私は、この慣れない状況にどのような反応をするべきか迷うしかなかった。

それでは『ロ・ギワンに出会った』では脱北者の話をどのように描いているのか。それについてはテクストに登場する人物達の感情の動線を追いながら考察してみよう。

「私」は、深刻な病魔と闘っている人々の話を放送して支援金を受け取るテレビ番組の作家である。「私」は自分が作る番組の出演者「ユンジュ」と親密な関係になる。ユンジュは、肉親がなく、顔に大きな腫瘍が出来た17歳の女子高生。そうしたユンジュに憐憫を感じた「私」は、より多い支援金を得られる秋夕(編集注:韓国のお盆)連休にユンジュの話を放送するため、放送日を当初より数週後に遅らせる。しかし、放送にあわせて手術日を遅らせていた間、ユンジュの腫瘍が悪性に変わってしまう。「私」の憐憫によって絶望の奈落に落ちてしまったユンジュ。「私」はユンジュと向き合う自信を失ってしまう。そんな中、「私」は時事雑誌で読んだ記事の内容を偶然に思い出す。

ロ・ギワン。略称、L。元の国籍は朝鮮民主主義人民共和国。1987年、朝鮮半島最北端の咸鏡北道・穏城郡の第7作業場で生まれた。1990年代後半、彼の少年期と共に始まった「苦難の行軍」期からしぶとく生き残ったが、飢えによって15歳で成長が止まってしまった青年。母の死体と取り替えた4千ドルで偽造パスポートを買い、母の願望であった韓国へ行くため、最初ベルギーに向かった。彼は述べた。「母は私のために死にました。ですから、私は死んではいけません。」

ロ・ギワンの話を思い出した私は、衝動的にベルギーに赴く。そしてベルギーで、ロ・ギワンが難民資格を得られるように後ろ盾になった北朝鮮系移住民「朴」と出会う。過去に医者であった朴は移住民として成功し、ベルギーでの社会的地位も堅固である。しかし、そうした朴も、不治の病で長い歳月を苦しんだ自分の愛妻を、安楽死させた過去を隠している。

「私」とロ・ギワンと朴。一見、いかなる共通点も持っていないように見える3人だが、彼らは「自分の選択によって大事な人の命を犠牲にした」経験で繋がっている。

人は他人の苦しみを共有することが可能なのか。もしそれが可能であれば、人は他人の苦しみを何処まで共感し、分かち合うことができるのか。追体験という言葉がある。他人の経験を想像力によって再構成し、それを自分が体験したように感じる試みである。自由の中で平凡に暮らしている人々に脱北者という言葉から連想できることは何であろうか。そして、そこから浮かぶ悲惨なイメージから我々はどれほどのリアリティを感じられるのか。

チョ・へジンは『ロ・ギワンに出会った』で、脱北者が置かれた社会的構造の矛盾に起因した苦しみを、個々人が持つ運命という苦しみに置換させた。そして、性別も国籍も違った彼らは、人より苦しむことを運命づけられているという不条理的な共通点で繋がっている。

テレビ画面の中だけに存在した脱北者の話を、チョ・ヘジンは我々の日常の中に引き込ませた。我々が頻繁に出会い、共に生活する家族、友達、そして我々と密接な関係にある誰かにも起こり得る話として。それでは今、我々は脱北者の痛みを共に感じる準備はできているのか。

結語として小説の中に出る朴の話を引用しておきたい。

「私は、彼を助けるのが今日を生きる我らの使命だと思います。それは目を逸らしてはいけない真実です。それ故に我々は事務的で政治的なやり方ではなく、より情緒的で人道的なやり方で彼を助けるべきです。政治的問題に没頭している間、我々が見失うのは個々人の苦痛であり、それこそが我らの悲劇であることを是非覚えていただきたいのです。」k-logo-g-h50

 

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パク・ヒョンスク

日本文学研究者

 


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